【国指定重要文化財 八千代座】100年越えの歴史の中に息づくのは八千代座への想い

熊本市内に住んでいると、八千代座の外観を見に行くことはありますが、中まではなかなか入らず、

苺一会

はいはい、八千代座ね

と素通りでした。(すみません。八千代座を支えるみなさん)

今回たまたま八千代座案内人の説明付き見学に参加できたので聞き覚えている限りでご紹介しますね。

苺一会

ちなみに、この案内人の話し方が上手で、最初は「ふ~ん」くらいな感覚で聞いていたんですが、だんだん「へぇ~!」と引き込まれて行きましたよ。

和風建築と洋風建築の融合!そして八千代座を象徴するものとは・・・

八千代座外観

八千代座は、明治43年(1910年)に町の繁栄を願い、山鹿の旦那衆(実業家)が八千代座組合を作って、1株30円で募って設立した芝居小屋です。

苺一会

今の価値でいうと、計4~5億円だそうですよ!!!

明治44年にこけら落とし(松嶋家一行による大歌舞伎)が行われました。

まなびたいこ
初登場
今後も登場予定

「こけら落とし」とは、新築または改築した劇場で初めて行われる興業のことです。
そもそも「こけら」とは、材木を削った時に出る切りくずのことで、工事の最後に屋根などのこけらを払い落としたことから「こけら落とし」と言うようになったとのことです。

観る人みんなに楽しんでもらえるよう考えられた席

八千代座の設計者は木村亀太郎氏です。
亀太郎氏は全国の芝居小屋や上海の劇場も見学したそうです。

1階下手桟敷席

各地での視察の結果、八千代座の平土間(枡席)、桟敷席はともに勾配がつけられており、後ろの客席からも舞台が見やすいよう設計されているという珍しい特徴へと繋がりました。

苺一会

こちら↓↓↓の写真だと、枡席の勾配具合が分かりやすいですよね。
ちなみに向桟敷(2階の舞台正面の席)はかなり斜めでしたよ。

2階上手桟敷席から

1階、2階ともに舞台に向かって右側を上手(かみて)、左側を下手(しもて)と言います。
当時、上手はお得意様席となっており、特に2階上手桟敷席からは、舞台や花道全体が観えるようになっています。

八千代座は、江戸時代の芝居小屋を踏襲して造っているので、建設当時の定員は約1,200人だったそうです。現在は席の間隔を余裕に取っているため、約650人を収容するそうです。

色鮮やかな天井広告画と煌びやかなシャンデリア

天井広告画とシャンデリア

八千代座の天井と欄間に広告絵を張り、広告収入を得ることを思いついたのが亀太郎氏だそうです。

天井広告画には同じ絵が3枚ずつあります。
原画データが33枚分残っていたので、それをもとに看板職人に描いてもらったそうです。

広告画と提灯の組み合わせも雅

また、真鍮製のシャンデリアは、第二次世界大戦中に金属供出で取り外されたそうなんですが、「平成の大修理」によって蘇りました。
シャンデリアのランプのかさ8個の内4個は明治のものだそうですよ!

苺一会

シャンデリアは国産高級車1台分(5~600万円)かけて作り直したそうです!!!

左側の広告画が本田喜久八商店
苺一会

天井広告画の中には現在も営業しているお店があるんですって!

その中でも有名なのは、亀太郎氏の友人である本田喜久八(きくはち)氏が本田酒造場として酒造会社を設立し、現在の「千代の園酒造」として今も多くの人に親しまれています。

亀太郎氏は本田喜久八商店の天井広告画も描いたそうです。

明治時代に作られ今も使用可能な舞台装置

廻り舞台(地上)

ちょっと分かりにくいかもしれませんが、舞台中央には歌舞伎などで場面転換を早めるために使われる廻り舞台があります。

廻り舞台(地上)の板

廻り舞台の板は、明治当時のものをそのまま使いつつ、新しい板を使うときには継ぎ目を合わせているそうですよ。

苺一会

はぁ~もう(良い意味で)ため息が出るほどの匠の技なわけですよ。

廻り舞台(地下)

奈落(舞台や花道の床下のこと)の裏方は4人のみ。奈落の中は狭いので、わらわらと人がいると出演者とぶつかったりして危ないので最小限の人数でこなすそうです。
廻り舞台もスッポンもこの人数で動かすそうですよ!

廻り舞台のレールと車輪

レールが付いていて滑車があるので、ひとたび回ってしまえばそれほど力はいらないそうです。
回してみたかったですが、地元の子供たちが体験で回すとき以外は回せないそうです。

スッポン

スッポンは花道にある上下に動くみこし状の台で、芝居ではここから忍者や妖怪が登場するそうです。

苺一会

こんなに狭いところから人が出てくるとは・・・。
思っていた以上に狭く驚きました!!

大向こう(向桟敷席の後方)の小話

大向こうから差し込む光

大向こうは真南となっています。
自然光をなるべく多く差したいということで、窓ガラスはなく、外界を遮るものは和紙が貼られた障子のみだそうです。

ガラス戸だと太陽光で出演者が眩しくなる時間帯もあるからだそう。

苺一会

雨戸はあるので、急な雨の時などは走って閉めに行かれるそうです!(^^)!

和紙なので濡れたら破けますからね。

全盛期もあった、衰退期もあった、でも無事復興できたのは・・・

長電話と書いて何と読むでしょう

明治当時の山鹿は、菊池川の水運と旧豊前街道を利用した水陸交通の要所で、県北一の商業都市、屈指の温泉場として賑わっていたそうです。

また、山鹿に電話が通ったのは明治41年であり、熊本県では熊本市に次いで2番目の早さだったそうです。

苺一会

上の写真の広告画に、赤い文字で「長電話」とありますが、これは「ながでんわ」とは読まず、「ちょうでんわ」と読むそうです。

まなびたいこ
早くも再登場

「長電話(ちょうでんわ」とは今でいう市外局番のことです。
このころから県外にもお客がいたということで、当時山鹿が栄えていたことが分かりますよね!

その後、歌舞伎やコンサートなどに広く利用され、昭和30年代に一旦映画館化したものの、嗜好の変化や、映画からテレビへと娯楽にも変化があり、昭和40年代には廃屋同然となっていったそうです。

昭和55年八千代座組合は建物を山鹿市に寄付し、昭和60年山鹿市は八千代座を市指定文化財に指定。

雨漏りや建物の老朽化を見ていて心を痛めたのは、全盛期を知る老人会の人たちだったそうです。
彼らは昭和61年に八千代座復興期成会を発足し、「瓦1枚運動」を始めとした募金活動で屋根瓦を葺き替え、それに触発された青年部が舞台の自主公演など復興へ向けての活動をし始め、その活動を見た山鹿市が動き始めたそうです。

そうして昭和63年に国指定重要文化財となり、平成8年に「平成の大修理」が始まり、平成13年に二度目のこけら落としが行われました。

苺一会

人の想いってすごい!
一人では難しくて成し遂げられないことでも、一人二人と人の力が集まってできることは無限大だなぁとしみじみ感じました。

おわりに

当時の冷暖房器具が付いてなかった頃と比べ、現在では冷暖房はもちろんのこと床暖房まで備え付けられているんですから良い時代になりましたよね!

舞台全体が観たい、花道に近い場所がいい、役者を近くで観たい、等々個人の感覚なので、ココだ!とは言い切れませんが、

苺一会

私は向桟敷(舞台から最も遠いけど、2階で全体が観られる)の席がいいです!

まなびたいこ

毎年2月の毎週金・土曜日に「山鹿灯籠浪漫・百華百彩」というイベントが行われます。
2020年も現在開催中で、最終日は2月29日(土)ですよ~!

苺一会

今回初めて中を見学し、話を聞いたことで少しレベルアップした気がします。
若い人でも楽しめる要素たくさんありましたよ。「剣心役」が座った場所を探してみるのもいいかも!

まなびたいこ

興業等で八千代座が使用中の場合は見学ができないことがあるそうなので、公式ホームページを要チェックです♪
公演の予定も確認できますよ。

※参考文献:八千代座公式ホームページ・Wikipedia・山鹿市教育委員会教育部文化課(平成24年3月発行)八千代座を設計、全盛期を支える木村亀太郎

施設情報
  • 施設名 八千代座
  • よみ やちよざ
  • 住所 熊本県山鹿市山鹿1499
  • 営業時間 9:00~18:00(入館17:30まで)
  • 休館日 毎月第2水曜日・12月29日~1月1日
  • TEL 0968-44-4004
  • 駐車場 あり

※この記事及び情報は2020年2月時点のものです。
※内容は変更となっている場合があります。予めご了承ください。

※営業時間や提供商品・サービス等が実際とは異なる場合があります。